ブランコ


 その日はなんだか寂しかった。
 コーヒーショップで何となくコーヒーを飲んで、一時間くらい居座って、本を読んだ。薄いペーパーバックだったから、一冊きれいに読み終えてしまった。本を読んだ後は、いつもそうだけれど、なんだか無気力になる。それがいい本であればあるほど。理由はよく分からないけれど、いつもそうだ。
 お腹がすいたから隣の牛丼屋で御飯を食べて帰る。おじさんはたちは定食で、学生は殆ど並か大盛りの二択だ。そんな変な法則を見つけたりしながら、さっさと食事を終えて店を出る。後はもう帰るだけ。帰って特にすることは無い。しなければならないことはあるけど、する気にはなれない。微妙なところだ。
 そんな無気力感も手伝ってか、普段はかなり早足で歩く私は、今はゆっくりぶらぶら歩いていた。たまたま珍しく小振りながらリュックを背負い、スニーカーにTシャツと高校生みたいな格好をしていたせいで、ふと、行く当ての無い家出少女のようだと思った。何となく品行方正に進んできたのでそういや家出なんかしたこともないなあと思う。
 ブラブラ歩いているとなんだか家に帰りたくなくなってくる。電話をすれば会ってくれる友達は居る。けれど、なんとなく、そういうのとは違って、だた寂しいなあ、と思っていた。寂しいのにひとに会いたいわけでもない、こういうパラドックスは別に珍しいことでもない。要するに、寂しい状況に満更悪い気がしているわけでもないということなのかもしれない。
 それにしても、寂しいことでなんとなく、胸のからっぽになるような気分に変わりは無い。空を見上げながら暗い路地をブラブラ歩いた。星は無い。明日は雨だろうか、三日月にはまだ太い月の周りにはその光で雲がぼんやり浮かび上がっていた。切れ目無く周囲に広がり、光の届かないところからは闇に溶け込んでいた。
 夜歩くのは嫌いじゃない。何年か前に通りがかりにちょっとした暴行を受けてからしばらくは夜道にそれなりに恐怖感を抱いたりもしたが、今では別にどうということもなくなっていた。ただ、背後に原付のエンジン音が聞こえると少し緊張したが。それでも夜の散歩は好きだった。昼間とは違う空気や風景が好きなのだろうが、それ以上にも何かあるような気がした。
 旅に出たい、と思う。
 いいものが書きたい、と思う。
 自分を知りたい、と思う。
 アレが欲しい、コレがしたい、と思う。
 脈絡も無くいろんなことが頭を過ぎる。脈絡は無いが、しかし、自分の結局根本のところでは全部がつながっているような気もした。いろいろぐるぐるして、また、思考は元の場所に戻ってきた。
 寂しいなあ。
 そういう気持ちも、今まで考えていたようなことも、どんなに私に言葉があっても、結局は全て、百パーセント私が思ったのと同じように誰かに伝えることは出来ないだろう。そういう意味においては、いつだって、私は、ひとは、ひとりなのだろう。そういう、感傷的なことで泣きたくなるのは珍しいことだった。でも、きっと泣かない。私は、泣きたくなるようなことは多いが、実際に泣くことは殆どといっていいほど無かった。
 ひとはひとりだから。
 でも、今の寂しい気持ちはそんな難しいことから来ているのではなくて、もっと単純に衝動的なもののような気もする。ひとは他人どころか自分のことさえよく分かりやしない。それは寂しくもなるだろう。そういうことなのだろうか。
 丁度、大きな分譲マンションの前の公園に差し掛かっていた。ゆっくりと視線を巡らしていると公園内の街燈に浮かび上がるブランコが目に入った。公園は分譲マンションの子供のための小さなもので、そこに相応しくブランコも普通のものに比べれば少し小振りだった。街燈がすぐ脇に立っている所為で、まるで舞台でスポットライトを浴びているような風情だった。
 最後にブランコに乗ったのなんていつのことだろう。
 ふと、ブランコに乗ってみたくなった。
 今なら大の大人がブランコに乗っていたからといって、奇異の目を向ける通行人も居ない。夜の公園で、ブランコを揺らす自分を想像してみた。ブランコはそう手入れされている様子も無いから、前後に揺れるたびキイキイ音を立てるだろう。高いマンションに囲まれているから、その音は思ったよりも響くだろう。風を切る感触、近付いたり遠ざかったりする囲いのバー。何より、そうすれば、少しはこの空っぽの感じのする胸に何かが入ってくる気がした。
 ブランコに乗る。それだけのことが、とても魅力的で、しかし誰も見ていないにも関わらず、とても恥ずかしいことにも思えた。
 街燈に浮かび上がるブランコ。
 それがどれほどのものだと言うのだろう。
 けれど私は、確かに強くそのブランコに惹きつけられていた。
 そのとき私は、旅に出たいな、と思っていた。
 他にもいろいろなことを考えていた。
 そして、とても寂しかった。

-end-





ちょっとタルイ感じの話を書いてみたくなりました。というか、「自分」を題材にした話をずっと書いてみよう、と思ってたのですが、それを実現したらこんなカンジになりました。まさにモノを書くというのは自分を曝け出すってコトなんだなあと改めて思う次第。
しかし純文学な人たちは基本がこういう、「自分」を題材にしたものの多いような気がするんですがエライですよね!だってなんかスゴイ恥ずかしいよコレ!!でも面白かったです。
でもなんか、コレで終わりと言うか、コレってなんかのはじまりっぽいです。紛れも無く今の時点ではこれで終わりではあるんですけど。