マーブルチョコレート。ジェリービーンズ。
光化学スモッグに沈む灰色の町で。
ビー玉。熱帯に泳ぐ魚たち。
あか。あお。きいろ。
僕は鮮やかな色彩の風が過ぎるのを見た。
そう、彼女はまるで風のようだった。
まだ春先だというのにアスファルトに照りつける太陽のせいか、随分と暑苦しく感じられる。少し視線を転じれば、淡く陽炎が立っているのが見えた。ゆらゆらと、ただでさえくすんだ色彩に加えて陽炎は辺りの景色ををぼんやりと曖昧なものにしている。
生きていくチカラの足りない、灰色の街。
買い物途中の主婦や、下校途中の小学生と並んで信号を待ちながら、タクヤはそんなふうに思う。
歩道には日光を遮るものが無くてとても暑い。それにアスファルトの放射熱。街路樹も排気ガスに薄汚れてみすぼらしい。道路を走る車は熱を出している。エンジンの唸りも、地面を転がるタイヤの軋みもうるさくて、耳に届く音の全部が遠くなっていく。膜一枚隔てたような危機感の薄れ。二酸化炭素でパンク寸前の青い星のイメージ。温室効果。ヒートアイランド現象。難しくてヤバそうなことがたくさんある。
スーツを着て歩くのはそろそろ苦しくなりそうだ。首元に手を伸ばして乱暴にネクタイを緩める。着慣れないスーツはとても居心地が悪い。
今日の面接も空振りに終わりそうだ。就職活動。氷河期とはよく言ったもので、三月頃からいくつも面接やら筆記試験を受けてきたが、一流企業を狙っているわけでもあるまいに、受けた数だけ落ちてきた。
これ以上暑くならないうちにどうにかしたいな。
もっと他に深刻になる要素はあるだろうにそんなことを考える。
信号が変わった。
タクヤはまばらな通行人の後を追うように歩き出す。
一歩ずつ。
みんなと同じに歩いていくことは、とても大変だ。
固い、熱い、アスファルトを一足ごとに蹴っていく。
オトナになったら自分の身を立てる為に働かなくてはならない。
それはとても当たり前で、自然なことなのに、どうしてそれに難しい言い訳をしなければならないのだろう。誰もが望む仕事やみんなに価値のあると認められる仕事につけるわけではなくて、自分はどんな仕事にもきっとやりがいを見つけられると思う。それに、自分の思い通りに働けないからといって働かないわけにはいかなくて、それはとても当たり前のことなのに、どうしてそれだけではいけないのだろう。
ふ、とタクヤは顔を上げた。長い。横断歩道が長い。
そして。
視界をいっぱいにする、風を見た。
あか。あお。きいろ。
灰色の街で、そこだけがお菓子の着色料のように鮮やかにきらめく。
「こんにちは。」
ひとりの、少女が立っていた。
目の前がチカチカするような気がして、タクヤは意識的に目蓋を上下させた。少女はまるで子供向けの絵本の登場人物のようにカラフルだった。そうとしか言いようが無かった。彼女の髪は鮮やかなストロベリーピンク。カラーコンタクトか、何か分からないがその瞳も同じピンクだった。そしてトップスはレモンイエロー、真っ赤なミニスカートと同じ色の肩掛け鞄……とにかく、全身がまるで、遊園地だとかおもちゃ箱みたいに騒々しく、楽しげだった。
タクヤは自分のダークスーツの全身を改めて見直して、端から見たならとても異様な取り合わせだろうと思った。少女はそんなことはお構い無しに、その容貌と同じに人形のような笑顔を向ける。
ここは、横断歩道の真ん中の筈だ。しかし少女はにっこりと笑顔を向けてまるで安全地帯に居るように立ち止まっている。タクヤは慌てて前方の信号を確認するが、もう随分経つ気がするのに変わらずにシグナルは青。ススメのサインを示していた。
なので、タクヤも立ち止まった。青ならば、問題は無い。
「……こんにちは。」
少女は無邪気に言う。
「あたしはみるく。マシマロを捜しているの。おにいさん、あたしのマシマロを知らない?」
「マシマロ……?」
お菓子?
タクヤはなんと答えたものか返事に窮する。すぐ考えていることが分かったのか、みるくは違うわ、とまた一歩タクヤに近付く。
ふわり、と鼻先をあまい香りがかすめた。
お菓子や果物、花束を連想させる。
色鮮やかなニオイとでも言えるような香り。
タクヤはこの香りを以前にもかいだことがあったのを思い出した。ゼミだ。ゼミで隣の席になった女の子が使っていた香水。ベビードールと言った。
「違うわよ、お菓子なんかじゃないの。マシマロはあたしの大事な友達なんだから。白くて、小さくて、ふわふわしているの。きっとあたしとはぐれて泣いてるわ。おにいさん、マシマロを見なかった?」
「トモダチ……?ペットなの?犬?それとも猫?」
タクヤの問いにみるくはしょうがない、というように腰に手を当てて見せた。
「マシマロは、マシマロよ。おにいさんは、マシマロを知らないのね。」
タクヤは何故かとてもすまなく思ったので、心から謝罪した。
「ごめん、何も手伝えなくて。」
みるくはそれを聞いて気を取り直したようににこりとした。
「あたしこそ、ごめんなさい。マシマロがいなくなってもう随分経つから、ちょっと焦ってしまっていたの。でもきっとこの辺りにいる筈だからがんばってさがしてみるわ。どうもありがとう。お礼に、これをあげる。」
みるくは鞄から何か小さいものを取り出すと、タクヤの右手を両手で包み込むようにしてそれを渡した。
「それじゃあね、おにいさんも、がんばってね。」
「あ」
タクヤはお礼を言おうと振り返ったが、すぐ横を通り過ぎたはずの少女の姿はもうどこにも無かった。見失う筈も無いのに。
代わりにタクヤの目には自分の渡ってきた側の歩行者信号が点滅しているのに気付き、慌てて走る。走って、安全な場所でもう一度振り返っても、何処にも少女の姿は無かった。
長過ぎる信号。
元の灰色の景色を眺めていると、まるで白昼夢でも見ていたのかとさえ思う。
しかし開いた右の手のひらにはみるくのくれたお礼、が間違いなく残されていた。
色の無いセロファンにつつまれた透明なグリーンのキャンディ。
確かに彼女らしいお礼だ。
諦めて歩き出しながら、タクヤはその包みを開き口の中に放り込む。
(ミント味。)
少しスッとするその味を楽しみながら、一歩一歩、歩いていく。
背広を脱いで肩にかければ、さっきまで暑苦しかったのが嘘のように、春の陽気が心地良くなった。
頑張ろう。あと少し。もう少し。
みるくもきっとマシマロをさがしているから。
タクヤは彼女が白い小さな子犬を抱えているのを想像して口元をほころばせていた。
-end-
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