ぎゅっと握った手のひらに、爪の食い込む感触がした。
微かな痛みに目を落とすと、垢じみて先の黒くなった爪は思ったよりも随分と伸びてい
た。その爪の跡が赤々と手のひらに刻まれている。それを承知でまた、彼女は再び拳を固
めた。決意の証なら、いくらでもつくがいい。そう、思う。
薄暗く、そして汚れきった狭い部屋の中、彼女は膝を抱え座っている。膝を抱える手は
握り拳を作っている。小さな、小さな彼女は、けれど、強い意志でそこに座っている。
暗く閉ざされたその空間には、彼女の他にも多くの人の気配があった。しかし光のささ
ないその場所で、それが分かるのはただ温度と、微かな息づかいの重なり合った不可思議
な音、そして潮の臭いとも汗の臭いともつかない腐臭のような空気だけだ。死んだように、
人々は言葉を失っている。すぐ近くのひとの呼吸が途絶えたような気がして、彼女は少し
恐怖を覚えた。だが一度目を瞑り、もう一度開いたその後にはもうそのことは考えないよ
うにする。
体力は無駄には出来ない。
鼻筋から口元へと伝った汗を舐めた。
死んだように座っている人々は息を殺しているわけではなく、ただもう、そうすること
しか知らないようだった。幾日も続く闇、空腹、乾き、ひどい揺れ、熱気、孤独、そんな
ものが彼らから生きるための何かを奪ってしまったようだった。
けれど、彼女は違う。
そんなイキモノにはならない、と彼女は思う。
私から誰も何も奪うことは出来ない、と彼女は思う。
細い腕はやはり同じように細い膝を抱きかかえ、手は強く強く握られている。白かった
であろうその肌は、汗と埃にまみれて汚れきっている。けれど彼女は違う。
汚れて束になった髪の間にのぞく瞳。
それだけは、決して輝きを失わない。
小さな身体を、更に小さく小さく折りたたむようにして、彼女は息を殺す。
野生のケモノが闇に身を潜めるように、ただじっとそのときを待つ。
私は死なない。
私は変わらない。
私の何も死にはしない。
私は私のままで、きっとたどりつく。
握った拳から、細く赤い血の筋が黒い埃を流していく。
微かな痛みを覚えながら、けれど彼女は力を緩めることはしない。
決意の証ならいくらでもつくがいい。
彼女はひとりそう思う。
end
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