3
「裕嬉」
くじら幕の下がったテントの前を通り過ぎたところで
月江に呼び止められた。
「お焼香、終わりましたか。」
「うん、月江も?」
頷く月江の仕草も何処か重い。『水谷家告別式』と
記された立て看板が風にあおられて傾いだ。
電話の翌日、立て続けの自殺騒ぎのために学校は臨
時休業となりD組の生徒は同じクラスということで自
殺した水谷夕香里の告別式に集められていた。涙を流
すのは特に彼女と親しかった人間ばかりだったがその
数は少なくなかったし、他の者もつい数日前まで机を
並べていたクラスメイトの死というものに直面して愕
然としているようだった。
「由美花はやっぱり来なかったのね。」
昨日連絡を受けてすぐに月江や由美花とも電話で話
した裕嬉だったが、そのとき由美花から気になる話を
聞いていた。また、屋上から飛び降りる夢を見たのだ
と。夢と呼ぶには余りにも生々しい実感を伴って。
「私が来ないように言ったんです。もし、本当に由美
花が残留思念を感じているのだとすれば」
「確かに危険かもね。場所に残る念があるのなら本人
に残る念もあるかもしれないわね。」
事実裕嬉にとっても告別式、というその場の空気だ
けでも十分に神経に負担がかかっていた。
二人は早々に水谷家を離れた。
「でも今回は学校にいたわけでもないのに由美花はそ
ういうものを見たんですよね。」
「由美花の、そういう面での能力が強くなってきたっ
てことかしら。」
月江も渋面をつくった。
「もう感受性が強いだけ、で済ませられる次元ではな
いのかもしれません。」
それから思いついて尋ねる。
「裕嬉は大丈夫なんですか。」
「うん、全然オッケーとまではいかないにしてもね。
ああいうことがあった後でしょ。ここのところ意識
的にガードしてるから。由美花にもレクチャーの必
要ありね。」
「でもすぐにどうにかなるものでもありませんしね。
早く、学校の雰囲気が落ち着くといいんですけど。」
「そうね・・・ショックだけど、少し気持ちを上向き
にしないとね。」
裕嬉は背筋を伸ばす仕草をして見せた。
「なによ、人が多少なりとも無理してるわけだから、
合わせてくれないと。」
「ああ、ちょっと気になることがありまして。」
月江の返事にまたなのかと裕嬉は顔をしかめた。
どうもこの友人は好んで面倒なことに頭を巡らせ
る節がある。月江は裕嬉が来るまでの間に水谷と
特に親しかったクラスメイトから話を聞いたのだ
という。
「やはり自殺するような人ではなかったと口を揃
えて言うんです。」
そしてそのまま沈黙する。その様子に裕嬉は重
ねて問った。
「何を、気にしてるの?」
月江は迷っているようだったがやがて口を開いた。
「由美花は最初教室で岡田さんと同調したときに『
怖い』という感じがする、といってましたよね。『
たすけて』とか『嫌だ』とか・・・・・・」
「そういってたわ。」
「自分で飛び降りようとする人が飛び降りるその瞬
間にたすけて欲しいと思うでしょうか。」
自ら望んで死の淵に立つ者がたすけを求める・・・・・・
確かに不思議なことだ。
「飛び降りたその後で、落ちてる途中でやっぱり怖
くなったって言うのなら分かるけど、確かにおかし
いのかもしれないわ。」
「由美花は落下の映像は見ていないそうですから、
彼女たちがたすけて、と思ったのは確実に飛び降
りる前なんです。まぁ、私もそういう経験がある
わけではありませんから、何とも言えないところ
もあるんですが。」
再び月江が口を閉ざし、裕嬉も俯いた。
胸の辺りで、何か嫌なものが滞っている感じがした。
辺りが暗い。
冷たい風が貼り付くように頬をなぶっていく。
大気の流れに上空でごうと呻りが上がった。
ふと我に返って辺りを見渡す。屋上だ。
認識よりも早く足を一歩踏み出し、その惰性
に流されるようにして更に二歩、三歩・・・・・・気
が付けば屋上の縁にいる。コンクリートの床が
途切れ、真っ黒い地面がぱっくりと口を開けて
眼下に広がっている。
なんのためにここまで来た?
考える。
頭の中に答える声があった。
ー死にに来たんだわ。
思い出し、再び湧き上がる疑問。
どうして?
足下から地面に至るまでの高さに対する恐怖
が重くのしかかる。この恐怖を乗り越えてまで
ここからダイブする理由があっただろうか。
頭の奥で何かが囁きかける。意識のずっと根
底的な部分、逆らいがたい領域へと働きかける。
頭が重い。
思考力を奪う重圧が。
視界が揺らいだ。同時に、地を踏む感覚が消える。
ー嫌だ、死にたくなー
確かな落下の感覚に胸を締め付けるように心
臓が高く鼓動する。最後の叫びのように・・・・・・。
「朝・・・・・・。」
裕嬉は額の冷たい汗を拭い、一息で起きあがっ
た。夢の余韻に震える手を握りしめて立ち上がり、
カーテンを開け放つ。更に窓を開けると清々しさ
を含んだ空気が部屋に入ってきた。
しかし裕嬉の額には汗で前髪が貼り付いていた。
温度のためではない、夢の恐怖に流れた汗。
裕嬉はぽつりと洩らした。
「夢なんかじゃないわ。」
生々しい映像とそれに伴う感情。
これが由美花の体験したという同調なのだろう。
何故彼女が飛び降りたのか分からない。凄まじ
い恐怖を抱いていたのに、何故。
そして。
「死にたくないって思ってたのに・・・・・・。」
しかし裕嬉は見たのだ。
屋上には、彼女以外誰もいはしなかったということを。
月江は棚から目当ての本を取りだして嘆
息した。何とも怪しげな表紙で、その内容
は信用に値しないかもしれなかった。表題
も極めつけ、である。
「最新科学で解き明かす超能力の謎・・・・・・。」
しかもどの辺りが最新科学なのか分から
ないくらいには古い本であった。
学校の図書館では十分な資料は得られな
いと諦めて月江は帰路に市立図書館による
事にした。今日は裕嬉も由美花も学校には
来ていない。二人ともまた同調してしまっ
たのだという。意識的に精神をガードして
いる裕嬉にまで同調が及んでしまったのだ。
(やはり学校に落ち着きがないせいでしょうか。)
特に精神に関する能力を持たない月江に
も、校内の空気が張りつめているのが分か
る。同調は起こらなかったにしても、二人
にはこの場所に来ること自体が苦痛となる
だろう。
図書館を出たところでPHSの電源を入
れると、裕嬉からメールが入っている。電
話して欲しいとあるので、要望通り発信した。
「裕嬉、私です。調子はいいみたいですね。」
電波の向こうの裕嬉の声が思ったより元
気そうで月江は顔をほころばせた。
『メール入れた頃だから二時くらいかしら、
それから後は何も見てないの。由美花より
はこういうことには慣れてるからね。ガー
ドが効いてるみたいよ。』
「で・・・なにかありましたか?」
裕嬉がわざわざPHSに電話をしてくる
ことは滅多にない。無駄を嫌う彼女のシン
プルなやり方で用事があるとき以外にはか
けなかったし、第一家にいないときには一
緒にいることの方が多かったからだ。
裕嬉が声音を改めた。
『うん、それが・・・私も自殺した人に同調し
ちゃったみたいなんだけど。死にたくない
って、はっきり感じたの。なのにどうして
飛び降りたんだと思う?一人で考えてると
よけいぐるぐるしてきちゃって、ちょっと
話したかったの。』
月江はしばらく考えて言った。
「そのとき、まわりには誰もいなかったん
ですよね?」
裕嬉の肯定を待ってから月江は思い口を
開いた。これは、最初に思ったよりもやっか
いな事件なのかもしれない。
「そのことに関しては私も考えていること
があるんです。」
自分たちが関わらなければ解けない問題。
『何なの?』
それは・・・・・・超能力の介在。
月江はそう告げた。
『でもそれってどういうことなのかしら・・・・・・。
それに私たち以外にも、この近くに能力者が
いるってコトになるのよね。』
月江は確かではないと言った。
「少しその、どういう力なのか、という点に
ついてはこれから怪しげな文献でも当たって
みようかと思っているところです。明日にで
も報告しましょう。裕嬉はゆっくり休んでい
てください。」
しかし翌日も裕嬉は学校には現れなかった。
そこで今度は回復した由美花と月江の二人
で裕嬉の家を訪れることにした。
「ね、何か甘いものでも買っていこうよ。」
キルシェの前で立ち止まる由美花に月江は言った。
「食べたいのはあなたでしょう、由美花。こ
の前もキルシェでしたし今日は暑いですから、
31はどうです?」
「31よりはハーゲンダッツがいいなー。ベ
イリーズ食べたいっ。」
「それってあのお菓子みたいなブランデーで
しょう、甘くないですか?」
「それがいいんだって。」
「私はマリブの方が好みですね。」
結局ベイリーズとマリブ、そして裕嬉の好き
なオレンジ&クリームのカップを持って二人は
瀬野邸にやってきた。こちらも邸という文字に
相応しい邸宅で、インターホンを通してお手伝
いさんと話すという段階を経て裕嬉の部屋へと
通される。
「調子はどうです。」
「まあまあね。」
月江の問いに答えて裕嬉はオレンジ&クリー
ムのカップにスプーンを突き立てた。頭痛や腹
痛と同じで同調にも周期的な波があるのだという。
「だからしばらくは平気よ。」
「よかった。」
由美花も安堵に笑顔を見せた。
「でも私はもう平気なのに、何で裕ちゃんだけ今
日も調子悪いのかな。」
「単なる感覚の違いじゃないの。」
そう答えて月江の顔を伺ったが、月江はそうだ
と思いますがと曖昧に頷いた。
「それで、昨日のことと、お通夜の時に裕嬉と話
したことは学校で由美花にも話したのですが。」
「一体、どんな能力が彼女たちを自殺させたの
かってコトね。」
裕嬉は敢えて直裁的な表現を用いた。由美花が
大好きだと言ったベイリーズのカップを食半ばに
手元に置いて呟いた。
「こわいよね。」
ふと沈黙が三人の間に降りる。
人一人を死に追いやる力。
月江は知らず、その手を見つめていた。自らの
裡に宿る力も、形は違えどそれを可能にするだろ
う。今、自分たちの身辺にその力を駆使して実際
に人の命を奪っている人間がいるのかもしれない。
由美花が一言一言区切るようにして言った。
「怖いけど、もし本当に、誰かが超能力を使って、
こんなコトをしてるんだとしたら・・・・・・学校や警
察なんて当てにならない。」
それは暗に知っている誰かが関わるしかないと
言うことを示していた。裕嬉にも月江にもその意
は十分に理解できた。既に、同じ事を考えていた
からだ。
「だから、今はその確証が欲しいんです。二人と
も、これを見てください。」
月江は古い情報雑誌を広げた。
「マインドコントロール?」
「耳にしたことはあるわ。」
マインドコントロール、それは人の心を操る術
だ。催眠術や暗示を更に強力にしたようなものだ
ろう。月江も当然その言葉は知っていた。
「どんなに嘘臭くてもよいから実際にそれが行わ
れたという事例を探したのですが、そこまでは見
つかりませんでした。」
「まあ、そうホイホイそんな事例があっても怖い
わよね。」
裕嬉は床から本を取り上げてページを繰ったが、
そこにはありきたりの曖昧な説明や、脳の機能と
関連させたとうてい理解できそうにない論理が並
べられているだけだった。
「誰かが二人をマインドコーントロールして自殺
させたって考えると、確かに辻褄は合うわね。」
自殺するようには見えなかったという友人の言葉。
それに何よりも、飛び降りることへの本人の恐怖。
由美花が空になったアイスクリームのカップを床
に置いた。
「でも確証がないんだよね。」
月江がレポートパッドを取り出した。
「それでですね、お二人に同調したときに見たこと、
感じたことを出来るだけ詳しく教えて欲しいんです。
何か手がかりになることもあるかもしれませんし。」
裕嬉もそれが良いと言った。
「月江は経験ないわけだし、私と由美花の見たもの
にだって違いがあるかもしれないわ。」
そうして月江は二人の言うことを代わる代わるレ
ポートパッドの左右に分けて書き留めていった。裕
嬉も由美花もできる限りのことを思い出そうとした。
「大体、同じですね。屋上に立ってて、自殺したく
ないことには気付くんですが」
「ふらふらっと飛び降りちゃうのよ。」
「そんとき頭痛がひどかったりとか、くらくらした
りするの。」
月江がペンをくるくると指先で弄ぶ。
「そこがポイントですよね。その頭痛とかが、同調
によってお二人にかかっている精神的プレッシャー
なのか、それともマインドコントロールによって自
殺者が受けた精神的プレッシャーなのか・・・・・・。」
裕嬉がレポート用紙を受け取って読み返している。
「その、人の心の声が聞こえるときって大体いつも
気分悪かったりとかするのよね。だからどっちかは
っきりしないし・・・マインドコントロールしてる人
の声でも聞こえればいいんだけど。」
「全く不可能ではないでしょう。相手に何かさせ
たい、と念じているわけですからかなり強い思念
が働いているはずです。」
「でもそんな人を操っちゃうくらい強い念よりも、
殺される人が怖いって思う気持ちの方が強いんだ
よね。」
二人が同調したことを考えれば確かに由美花の
言うとおりだ。更に由美花は続けた。
「そう思うと、余計にそんなコトする人許せない。
どうにかしなくちゃって思う。」
「そうね・・・。多分、今のところ私たちしかそんな
こと分からないし。」
裕嬉が言い、月江も回していたペンを止めた。
「それに私たちでなければ事実そういうことが行わ
れていたとしても信じないでしょう。」
「犯人を見つけたところで法的にはどうにも出来
ないけど・・・とりあえず犯人見つけて、それから
先は後で考えたっていいし、それに、これ以上、
被害者を増やすわけにもいかないわ。」
「でもどうしたらいいかなあ。」
由美花の言葉を受けて、裕嬉はおもむろに口を開いた。
「私が、それこそ直接屋上かどっかでガード解い
ちゃったら・・・もう少し敏感になるから、いろいろ確
認できるかもしれないわ。」
「危険ですよ。」
月江が一言で反対した。
「でも最後の手段くらいには考えとくし、必要を感じ
たら止められてもやるわよ。」
「これだから裕ちゃんってばぁ、一度言い出したら聞
かないんだから。」
由美花にまで呆れられてしまう。確かに裕嬉には頑
固な一面があった。
「最後の手段、にまで至らないように努力しなきゃい
けませんね。」
裕嬉から回されたレポート用紙を見ていた由美花が
あれ、と声を上げた。
「何?」
「いやコレ・・・裕ちゃんは辺りが暗いって言ってるよ
ね。私は明るいって。」
「んーでも実際には昼間だったわけだし、それこそ精
神的プレッシャーが影響してるのかもよ。」
「そだよね。」
月江が再び自分の元にレポート用紙を戻し、丁度対
照させるように書かれた『明るい』『暗い』という部
分にペンで太い線を引っ張りそのまま沈黙してしまった。
その後二日間、由美花は回復したにも関わらず裕嬉
は同調に悩まされ続けた。
雨、雨が降っている。
濃い色に染まるアスファルトと空気に満ちる
土の匂い。
重くそのまま落ちてきそうな空。
由美花は走っていた。
靴の跳ねた泥が靴下に転々と茶色い染みをつ
くっていったがそのようなことは気にかけてい
なかった。何より傘さえさしてはいなかった。
水滴で視界が霞む。
しかし彼女は立ち止まることなく走り続けた。
濡れてからみつく着衣の重さを振り切るように。
もし今見たものが同調であったのだとすれば。
目覚めたのは午前五時。まだそんなに時間は
経っていない。アスファルトにはまだ乾いた部
分も見られたのだから。早朝の路地に人影はない。
ー心象風景の中で、見慣れたコンクリートに増
えていく暗い染み。
まだ間に合うかもしれない。
もう間に合わないと知っている。
知っていた。
それでも走らずにいられなかった。もしかすれば。
ー激しい重圧、拒絶と助けを求める声。
狭い通用口を抜け、中庭へと走る。舗装されて
いない砂利道にとられる足がもどかしい。
雨音と自らの息づかいが耳鳴りのように頭に響く。
揺れる視界が雨のせいなのか、或いは涙のせい
なのかもう分からなかった。
(死にたくないって言ってたのに・・・・・・なのに!)
ー確かに伝わった、足が地面を離れる瞬間の感覚。
校舎の角を曲がりきる。
暗い空。
コンクリートに数を増していく黒い染み。
可能性を信じたい心とは裏腹に地面を見渡す自分。
呆然と辺りを見回す。
自殺しようとする自らの認識。
そこに誰も見つからなければいい。
理由。
見あたらない。
何もできはしないこの自分に、何故求める。
ならばどうして。
そこに聞こえた声。
やはり願いは報われないのか。
ー落ちてしまえー
由美花は立ち止まった。足下の水たまりに
は無数の波紋が広がっている。そこに暗い色
がじわじわと浸食していく。器から溢れる生
命の流れ。
それが由美花にやはり手遅れであったこと
を知らせる。
そしてそのまま由美花はその場に崩れてし
まった。荒い息に肩が揺れる。しかし由美花
が膝をついたのはその疲労のためではなかった。
由美花の崩れ落ちた地面、そのすぐ先にう
つぶせに血を流す、同級生の姿があった。流
れる血の量が、ぬくもりの感じられない白い
手が、何よりそれがもう肉の塊でしかないと
いう直感的な実感が・・・・・・。
由美花の口から嗚咽が洩れた。
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